担降りブログ

担当は関ジャニ∞の安田くんで、2006年~2017年の約10年間安田担だった。

 

私にとって安田くんは人生で初めての担当で、つい数ヶ月前までは一生安田担でいると思っていた。

まさか、自分が担降りするなんて「絶対にない」と思っていた。

しかし人生ほんとに何があるかわからない。

初めての担降りをした。

 

関ジャニ∞との出会いは2006年3月、CDショップで「F・T・O」というアルバムを手に取り彼らの曲を聴いてファンになった。当時アニメオタクだった私が関ジャニ∞のアルバムを買ったのはオタク仲間がKAT-TUNで盛り上がっていて私もアイドルに興味が沸いてきていたり、妹がNEWSのファンになったり、大好きなアニメが最終回して喪失感を持っていたことなど、いろんな理由が重なったことがきっかけだった。

そのCDに収録されていた「大阪ロマネスク」が大好きで、これは今でも私の大切な曲だ。曲からジャニーズのファンになることはめずらしいらしい。

安田くんのことはアイドル雑誌の写真が可愛かったことから興味を持った。そのときの安田くんは髪の長さはちょっと長めで、髪色はこげ茶色で、ふわっとしたパーマだった。身長が低くてやわらかい笑顔の人だという印象だった。

それから関ジャニ∞が出演するテレビ番組をチェックしたりしていると、近くの会場で関ジャニ∞のコンサートが開催されることを知った。当時はまだチケットの取り方も知らなかったけどグッズはチケットを持ってなくても買えることを知って、FTONコン会場でグッズだけ買いに行った。だいぶハマってきた私はコンサートのDVDも買ってみた。それを観たら、「ジャニーズって席が遠くてもトロッコに乗ったりして近くに来てくれるんだ!すごい!」と感動した。それを知ったら実際のコンサートに行きたくなった。チケットを取るにはどうやらFCに入らないといけないらしい。そこで私はFCに入ることを決意した。ジャニーズのFCは好きなタレントの名前を一人だけ登録することになっている。顔では大倉くんや横山くんが好みだったがアイドル誌で見て気になっていた安田くんの名前を書いた。

安田担になったのは、その時からだった。

それから約10年間、私はずっと安田担として生きてきた。
2011年ごろに安田くんが次々と髪型をチェンジしている時期があって、見るたびにガッカリして、ちょっと冷めた時期はあったけれどそれでも嫌いにはなれなくてやめられなかった。
これまで毎日安田くんのことを考え、毎週テレビをチェックして、毎回CDを買って、毎年コンサートに行く。こんな日々がずっと続くと思っていた。

 

そんな私が担降りしたのは、よくある理由だけど

安田くんよりも好きな人ができたからである。

 

しかし私は直感型ではないため、スパッと担降りしたわけではなくて
半年ほどの期間の中で様々なことがあり、最終的に担降りしていた、という感じ。

その時のことを記録のために書いておく。

 

エイトは毎年ドームツアーを年末年始にかけておこなっており、私は当然毎年ツアーに参加していた。しかし、この年(関ジャニ’sエイターテインメント (2016))は例年とは少しだけ違うことがあった。

それは、アルバムが発売されなかったことだ。

エイトは毎年ツアーの前にはアルバムを出していて、私はツアーに向けてそれを毎日聞き込みモチベーションを高めるということをしていた。
アルバムを聴いていると、自然と「コンサートに早く行きたいなあ」「安田くんに会いたいなあ」と思ってくる。「コンサートには何を着ていこう?」「美容院はいつ行こう?」など考えているときはとても楽しくて、担当に会えると思うと仕事もがんばれる。


しかし、この年はアルバムが出なかったためにそのプロセスがなかった。
なので、なんとなくモチベーションが上がらないままだった。

 

そんなときに友達の影響で行った現場で今の担当(Aくんとする)と出会った。
Aくんと出会ったのは6月で、夏のリサイタルの前だった。リサイタルの時は安田くんがいちばん好きだと思っていたし、まだ担降りの気配は全くなかった。
けれど、偶然にもAくんも年末にコンサートをすることが決まり、友達と一緒にコンサートに行くことになった。わたしはAくんの楽曲をいっぱい聴いてコンサートに臨んだ。昔の映像もいっぱい見た。そしたら、どんどんAくんのことが気になり好きになってきた。毎年エイトのアルバムを聴いていたこの期間にAくんのことばかり考えるようになってしまった。

 

そして、12月になり、ドームツアーが始まった。
初日の北海道公演のとき、とある出来事が起こる。

 

この年、北海道公演の日は大雪となった。雪の影響で飛行機が空港に降りれず、遠征の人たちが札幌ドームに到着できないという事態になってしまった。同じ日にモーニング娘。も北海道でコンサートを予定しており、そちらは本人達が札幌に到着できず中止になってしまった。
そんなとき、すでに現地に到着していたモーニング娘。ファンの中に「それなら関ジャニ∞のコンサートへ行こう!」という人があらわれた。
別のコンサートに行く予定だった人がエイトのコンサートに急遽行くことになるなんて、まさかの出来事にTwitterでも話題になった。そしてこの時ジャニーズのコンサートへ初めて行った人が「すごく良かった!」「会場でファンクラブに入った!」などとつぶやき、それはどんどん拡散され、両方のファンの間で盛り上がった。

 

この出来事はおもしろいなぁと思ったけど、これがきっかけで、私は新規ファンと自分の熱量に差があることに気付いた。


新規ファンの人たちがものすごい勢いでライブの感想やメンバーの印象などを熱く語っている様子を見て、「あ、私はこの感情を知っている…、自分がファンになった頃に感じたものと同じだ」とまるで遠くからそれを見ているかのように思っていた。
同時に、今の自分にはその情熱がもう無いんだということを自覚した。

 

自分は最初の頃と変わらずにエイトのことを、安田くんを好きだと思っていたのに、違ったのだ。
いつの間にか自分には昔エイトを好きになったばかりの頃の情熱がなくなっていた。
けっこう衝撃だった。

 

でもこの時はまだ、「これは今はモチベーションが上がっていないだけで、私もコンサートに行ったらいつものように安田くんを大好きな気持ちが戻るんだ!」と思っていた。
毎回コンサートが終わると必ずエイトのことをもっともっと好きになるから。
コンサートが楽しすぎて、一週間後にまた行くのに待てなくて、録画した番組をひたすら見たりする。そんなふうになるのがいつものパターンだ。
そう信じてクリスマスの名古屋公演に参戦した。

 

しかし期待はむなしく、大好きなエイトのドームツアーに初参戦したのに気持ちは動かなかった。

 

この年のコンサートは微妙だった。セトリもよくなかったしステージのセットも地味だったしムビステも無し。前回のほうがいいなと思った。やっぱりアルバムを引っさげたツアーじゃないとおもしろくない。エイトレンジャーはイリュージョンなど妙に凝っていて今までのようには楽しめず、なんとなくモヤっとした気持ちだった。
いつもコンサートが終わるとエイトのことを好きな気持ちが膨らんで大きくなるのに、今回は特に何も思わなかった。

 

それに対してAくんのコンサートはすごく楽しくて最高だった。ちゃんと目で追うのは初めてで、姿を追っていると楽しくて、新しい発見もいっぱいあった。もっとAくんを見たい!と思うようになった。

 

年が明けて2017年1月。ツアーの最終となる大阪公演へ行くことを友達と約束していたため私は大阪へ向かった。毎年この大阪の地では友達と一緒に最高に楽しんで帰る、と決めていた。いつもコンサートに一緒に入っている友達も安田担で、接点はエイターということしかないけどSNSで知り合って仲良くなった。

オーラスの前日
友達とホテルにチェックインし、京セラドームへ行く準備をしている頃にメールが次々と届いた。それはAくんが3月に出演する舞台のチケットの抽選結果の発表だった。
抽選結果は「落選」だった。

わたしはそれがとてもショックで目の前が真っ暗になって手が止まった。
でもコンサートに一緒に入る友人にはAくんのことを言っていなかったし、これからコンサートというタイミングだったので何も言わず、そのことをいったん忘れてコンサートを楽しもう!と気分を切り替えることに決めた。
そしてコンサート会場へ向かった。

コンサートが始まり、私は必死に忘れようとしたが、
ショックは思った以上に大きく、忘れることができなかった。

コンサートは全然楽しくなかった。そして私はショックを翌日も引きずっていた。


オーラス公演のアンコールで村上信五から発表があった

「夏にもツアーやります!!」

一斉に沸きあがる会場、大きな拍手

でも私は、

『そんなことよりAくんの舞台のチケットがほしい』

そう強く思っていた・・・。

 

そして3月。

あの時落選したチケットはその後またチャンスが到来し、ありとあらゆる手を尽くして応募をしてなんとかチケットをゲットし公演に行くことができた。私は長い絶望から救われた。
やっとの思いで見た公演は素晴らしくて、楽しくて、最高の気分だった。

 

Aくんの出演情報をチェックし、次の舞台も行きたいな~とか思っていた。
そんな時ふと「私はもう安田担を降りているんじゃないか?」と思った。
安田くんの出てる番組を見てもなんとも思わなくなってしまったのだ。

決して嫌いじゃないんだけど、担当だけに思う特別な「好き」という感情がわいてこない。
安田くんのことをただ見ているだけのような気がした。

 

なんとなく焦った私は昔の気持ちを思い出そうと安田くんを好きになった頃のDVDを引っ張り出していくつか見てみたが、気持ちが戻ることはなかった。


私は同時に二人を好きになることがない。

友達の中には担当の他にも何人か好きなタレントがいるなんて子もいるが私はそういうのは今まで一度もなかったから、掛け持ちはできないタイプだ。一人に夢中になると他の人のことはさめてしまう。

 

Aくんは外見や性格は安田くんには全然似ていないが、かっこよくておもしろくてファン思いでとても素敵な人。今までずっとエイトを追いかけていた私に、新しい刺激もくれる。こんなに素敵な世界があったんだと思わせてくれた。

 

しかし、10年間応援してきた安田くんと違ってAくんとはまだ出会って半年ほどで、「本当にこれからこの人を応援していって大丈夫なのか?」「裏切られることはないか?」すごく不安だった。

けれど、もう戻れなかった。

Aくんを応援したい。もっと全力で。自分のすべてをかけて。そう思った。

 

私はついに担降りを決意した。


2017年3月のことだった。

 

 

6月には安田くんの主演舞台「俺節」が控えていた。
俺節」を観に行くことは担降りを決意する前にチケットの先行があったのですでに決まっていた。3公演分のチケットを取っていたが、もう1公演で充分だな・・・と思ったので手放したかったけど倍率が低かったので譲り先も見つからず、自分で行くことにした。

舞台はすばらしかったが、やっぱり「好き」という気持ちが戻ることはなかった。

隣で観劇していた安田担の子が舞台を観た後すごくテンションが上がって、安田くんのことを好きだと言っている様子を見て、「あ、それ、私は『トラストいかねぇ』を観たときに思ったやつだ」となつかしく思っていた。

 

完全に担降りしたんだ、と思った。

 

今まで安田担として生きてきた約10年間。

楽しかったし幸せだった。


安田くんとは目も合ったことがないし、ファンサをもらったこともない。きっと安田くんは私の事は知らない。
でも私にとってこの10年間は大きかった。初めての担当だったし、ずっと一人だけを見ていた。だから私はこのまま10年間が何も無かったことになってしまうのがなんだかさみしくて、「今までずっと応援していた」ということを何か残したくて、手紙を書いてプレゼントボックスに入れることにした。
読んでもらえるかはわからないけれど。もちろん、担降りしますなんてことは書いてはいない。ただ、昔から応援していること、安田くんの主演舞台はすべて観に行っていたこと、尊敬しているところ、次はコンサートで会えるのを楽しみにしているよということを書いた。私にとっては、これが最初で最後の手紙だった。

 

安田担ではなくなったが嫌いになったわけではない。その後もエイトのことはCDを買ったりコンサートに行くことは続けようと思っていた。
けれど、エイトの目指す方向性に違和感がつのっていき(このことについてはいずれ書きたいと思っている)、それも今後はなくなっていくと思う。さみしいけれど。

 

進んでいく彼らと、止まってしまった私。

 

彼らは今、私がファンになった頃とは比べ物にならないくらい有名になり、成長した。
今は私が一人いなくなっても、新しいファンがたくさんいる。
これからの応援は今のエイターがいれば大丈夫。

 

もう何も悔いはない。心配もない。

今まで楽しい時間を、幸せをくれてありがとう。

 

 

 



※たまに加筆修正します